蕎麦の会、海の会、そして牛を見る

引越しの話の合間に現在のはなし。

楽しみにしていた「海の会」が今月あった。

春には山菜三昧の「山菜蕎麦の会」と言うのもあって、こちらへ来てすぐに山菜の会に参加したら、海の会もあると聞き、そちらにも呼んでもらっている。昨年に続き二度目の参加だ。蕎麦のほうは、自家製そば粉を使った、手打ち蕎麦がメイン。これに山菜料理が山ほどあって、まさに山の幸。これは春の楽しみだ。わかる人が山に入って採ってきた山菜は、不慣れな自分たちが採ったものとは比べ物にならない。(それでも、わらび、こごみなどは自分で採りに行く)そこに、海の会の漁師さんたちからの魚介が加わり贅沢極まりない宴会になる。そして、漁師さんたちは海の男。そうくればパンロゴが嫌いなわけがない。で、楽器持参で参加するのだ。

海の会は夏。7月の始め頃だが、決まっているわけではないので、仕事の都合で参加できなかったらどうしようとちょっと心配していたが、ちょうどいい日にちに決まってやや遅めの参加になったが今年も味わうことができた。今年のメインは、毛ガニ!! そして時知らずと呼ばれる短期間だけ獲れる鮭。会場は、漁師Mさんが自ら建てたというログハウス宴会場だ。来たよ〜というと入り口に、なんと衣装ケースいっぱいに毛ガニが….。一匹づつもらって中へ。今年は、焼き牡蠣、ウニもあって、とにかく贅沢三昧。会場が広尾町なので、運転手の私は残念ながら酒は飲めず。だが、一年分の魚介類を味わったというくらい盛りだくさんな宴会である。
今年もパンロゴで盛り上がった。ほぼ一年パンロゴクラブに参加していた代表メンバーと一緒に賑やかに演奏した。パンロゴクラブの経緯もそのうち書くが、みんな上手くなった。

宴会終了するも数匹残った毛ガニをお土産にもらって次の日もまたカニ三昧だ。

実は東京で一人暮らしを始めた娘がこちらに来るというのでこの日に合わせて一緒に参加した。一週間前に海の会の日程が決まったのだが、ちょうどよくお盆前で飛行機代もほどほどで、いいタイミングだった。ちょうど雪印工場の開放デーもありチーズの見学やお買い得品もゲットしてきた。まったくいいタイミングで来たもんである。娘は大の魚介好き、蕎麦好きとあって、海の会で、大樹町名物の蕎麦屋「一秀」さんに呼ばれ、次の日は、蕎麦屋「一秀」さんで蕎麦も堪能した。居る間に知人の酪農家Yさんで子牛も見せてもらい、うまい牛乳もいただいた。

娘をダシに昨年以上にいいものを食べさせてもらった。この二つの会は、面白い人がたくさん参加するので知り合えるのも楽しみだ。パワフルで行動派の酪農家のYさんもそのうちメインで登場すると思うが、ちょっとした集まりが縁で知り合い今に至っている。去年と今年。最初の年からいろんな人と知り合えたので、大樹町ライフはとても充実している。

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引越し当日(荷物出し)(4/16)

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小金井市のゴミは個別収集だ。なので、週に何度かの収集日に合わせて出さないといけないのでそのスケジュールも考えないといけない。どこかに出してくるわけにもいかないので庭はゴミ袋が山のようになった。それを延々とかたずけ、いよいよ引越し業者が来る日だ。行き先が遠方のため、荷物が現地に届くのは三日後になる。荷物を出して、この家に一泊し、サンバーで大洗に行き、大洗港から苫小牧まで一泊のフェリー旅。フェリーでは、長旅でもあるため二人部屋の個室をとった。前日までに準備は万端なはずだった…..。

さて、引越し業者がいよいよやって来た。料金のところで前にも書いたが、ここで大問題が。見積りは取ってもらったのだが、どうも実際の作業をする人たちからすると、予定よりかなり多いらしい。かなり甘い見積りだったのかもしれない。しかも、そのままで良いと言われていたものもダンボールに全て入れないといけないという。梱包しながら積むことになった。言われた通りに梱包したのにやりなおし….。作業の人数も少なく見積もられていたので引越し屋さんも大変だった。(現場の人たちはとてもいい人たちだったので、頑張ってくれた。ほんとに感謝だ。)絵画の作品、小物楽器なども丁寧に梱包してくれた。数時間で終わるはずが、予定時間を大幅に過ぎて夜、作業は終わった。トラックに載せきれないかもしれない…とも言われたが、すきまなく一台に載せ切ってくれたベテラン作業員さん、ほんとにありがとう。終わった時は、みんなでバンザイしたいくらいだった。

なにもかもなくなった住み慣れたちいさな家は、がらんと広かった。照明器具もほとんど外してしまったので、薄暗い。処分してしまう予定の布団と今日出たゴミ袋の山。向こうで布団をもらう手筈になっているので布団は今晩使って、明日粗大ゴミの回収が来る時に残った家具などと一緒に出してしまう。

娘が来たので、三人で近所の「浜勝」にトンカツを食べに行った。以前、ここはファミリーレストランで、隣はアイスクリームの会社があり、今は牛丼チェーンの店になっている。角はコンビニだったがリフォーム会社に変わっていた。玉川上水の樹も随分切られてしまい、大きく変わったあたりだ。

娘が新居に帰って、何もない家に古い布団を敷いて、寝た。明日は船旅。なんだか家族みんなが新生活で、大冒険に行くような気分と寂しい気分半分。この数週間の目の回るような忙しさ…。あとは新生活が待っている。

明日はいよいよ北海道に向けて出発だ。

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木琴が満載されたサンバー。毛布、布などを隙間に埋めてある。

 

娘の引越し

私たちは、北海道になったが、娘はこれを機に独り立ち。アパート探しもしなければいけない。小金井の家は大家さんとの直接交渉だったので、不動産屋にも縁がなかった。一度社会人になったが、その時娘は専門知識を学ぶために専門学校生になっていたので、世間的には学生である。就職先はすでに決まっていたが、特殊な業界のため4月入社ではなかった。学生用物件というわけにもいかない。物件をいくつかネットで見て、実際に見に行ったりしていたが、いまひとつ。見たい物件があったら現地集合で見せてくれるところが多かったが、一件は、まず新宿の事務所に来てくれという。尋ねた不動産屋は、こちらが不動産業者や引越しなどに不慣れなことを知り、態度が悪かった。あまりに上から目線で態度が悪いので、最初に書かされた連絡先や名前などの個人情報を書いた紙を返してもらい破棄した。娘と二人落胆して駅から自宅まで歩いていて、ふと目に止まった地元の不動産屋は、嘘のように親切で、いい物件も持っていた。わからないことも親切に教えてくれ親身になって相談に応じてくれた。家賃も手頃で、今の住まいからも一駅。ほとんど環境が変わらないところに、ほどほどの広さ。すぐに決めて手続きを開始した。これもまた運がよかったのかもしれない。

使っていた冷蔵庫、洗濯機は、自分たちで運び、あとは小物のはずだったが、結局本棚も持って行った。
自宅の準備の合間に、足りないものを買いに行ったり、買い揃える物を手配したり、同時進行でいよいよ忙しくなった。

大樹町側で手配してくれている友人から、何軒か候補の公営住宅をSkypeを通じて写真を見せてもらい、グーグルアーズで現地をいながらにして視察、大樹町を調査。夜はそんな作業もあった。必要書類の作成、市役所へも何回か行かないといけない….などなど….。

 

引越し料金など

4月。不用品の整理、梱包、手続き関係が本格的に始まった。

はじめは、3月中の引越しを考えていた。で、見積もりに来てもらったら、3月の後半から4月の頭がハイシーズンらしい。なんと一週間で数万円ずつ値段が違うらしい。なんてこった! 引越し業者によっても何万円か時には10何万も違う値段を言われ恐ろしくなった。だいたい、三鷹から小金井に移った時、小金井内で動いた時も自分たちで引越しをしたので、業者に頼んだ事はなかったのだ。最後の引越しは、隣に移って数ヶ月後には前の家を取り壊すという引越しだったので、家族三人で毎日せっせと荷物を運んだ。(今考えると笑えるが、実に2ヶ月近くかけて荷物をはこんだ。大型家具も、家電もすべて!)

引越し業者比較サイトで、数社に見積もりを頼んだが、北海道への移動はここが一番安いという業者に決めたのだが、そこでさえこんな状態だ。安いので評判のあの業者は、北海道への移動はぐんと料金が跳ね上がり、使えなかった。
まあ、4月中旬ならほどほどの金額でいけそうだったので、花見を終えて、4月中旬ということになった。

箱に入れないものは、エアーパッキンで包むなど、あらかじめ指示されたように準備を進めた。….だが、当日になって、箱に入っていないと運べないなど、見積もりの人と、現場の作業する人との食い違いもあり、当日は大変なことが待っていた。

見積もりに来た人は、正確に把握できていなかったのだ! かなり量を少なく見積もっていたようだ。だが、うちは業者で引越しをしたことがない。こんなもんかなあといった具合だ。(当日の作業の人が、「見積もりは見積もりです。うちの責任ですから。」と割増にもならなかったので、ほんとにありがたかった。)

車があるので、フェリー移動だ。こっちは、割引がいろいろあり助かった。大洗港から苫小牧までフェリー、あとは陸路に決定だ。荷物は引越し業者に頼むとして、壊れやすい木琴をどう運ぶか….。うちのサンバーに積んで持っていくことにした。木琴は半分バラし、フレーム同士を組み合わせたりして、なんと大きいもの8台、小型2台の計10台。まったくパズルのように収納名人チャンシーは、何日かかけて積んだ。もう隙間は手荷物くらいしか乗らなかったのだから、よくもまあ、こんなにきっちりつめたもんである。しかも、到着した日に演奏しなければならないかもしれないことも予想して、バラさないで、すぐ出せるように1台は準備して積み込んでいた。

そういうふうに、このころは、朝から晩まで梱包作業、その合間にハードオフ、古本屋、金属引取り業者へ行く。並行して娘の引越しも。

今考えると、幻のようだ。

はずせないこと

スケジュールは一杯いっぱいだった。最終的な引越しは4/16だ。

だが、3月いっぱいまで仕事があった。帰ってきて、荷造り、荷造りの毎日、前回の記事のように解体、取り外さなければいけない物もたくさんあった。

でも、この時期、ぜったいはずせないことがあった。

花見である。

小金井公園は、桜の名所であり、パンロゴクラブは、パンロゴクラブになる前から花見を毎年行っていた。お別れ会もかねて、ぜひともやりたいということになった。合わせて、パンロゴクラブのメンバーだったUさんの店でチャンシーライブも企画してくれたので3月の終わり、そこでチャンシー木琴ラストライブも行った。
花見は、やっぱりやってよかったと思う。大樹町で花見はあるが、あれだけのソメイヨシノはこっちにはなかった。

小金井公園の花見は、江戸東京たてもの園の前に、ずらっとで店が並び、ブルーシートもびっしりで、貫井囃子が回ってきたりで大変賑やかなものだ。公園の近くに住んでいたので、バーベキューセットやキャンプ椅子、テーブルなど一通りの装備があった。大学生メンバーが多かった頃は、庭で焼肉なんかもずいぶんやった。

毎年、同じ場所で、パンロゴクラブは花見を行ってきた。持ち寄りのツマミは、酒好きのメンバーも多く、午後から夜中まで昔は随分と長丁場だった。正午から明け方3時という、とんでもない年もあった。梅の時に湯豆腐をやったこともあった。小さかった子供達は太鼓の袋にくるまったり、寝袋で寝たり、ちょっとキャンプ気分な家族ぐるみの恒例行事だった。ここ数年はこじんまりとはなったが、大きくなった子供達も参加するあいかわらずの恒例。

引越しのニュースを聞きつけて、毎年はこないであろう人たちも集まった。久ぶりの人たちにも会えた。そして、花見の後、公園で長年使ってきたキャンピンググッズなどを処分した。

大忙しの合間だったので、なんだか夢の中の出来事のようにも思える。今、ふと車で走っていて、富士山も東京タワーも桜並木もないんだなあとしみじみすることもあるが、こっちの風景はまた違った各場面絵になるような素敵な景色だ。

壊すもの

3月いっぱいで仕事は終了。あとは引越し準備だ。日数も限られている。慌ただしく荷物の整理に追われていたが,大家さんから「物置もかたずけてってね。」の一言。そうか、こいつをバラさないといけない。隣に住んでいた友人も引越し、周りは建て替えられて、このタイプの住宅はほんの数件。そのままもらってくれるところもない。雨が続いていた。雨の中カッパ着用でチャンシーと二人で物置3台を解体。古いのでネジも錆びついて難航した。が、この家に引っ越してきた時は(隣からだが…。)サッシ化されていない掃き出し窓を隣から外したサッシを取り付けたり、物置すら台車で運んだDIY家族である。道具も装備もありなんとか壊した。そして、サンバーに積み込み金属を引き取ってくれるところまで運び金属として買い取ってもらった。物置だけでなく、解体するものもたくさんあったので、これが一番大変だったかもしれない。粗大ごみに何もかも出したら大変なことになる。できるだけ壊していかないと…。
そして庭にも家の中も外したり壊したりする物はけっこうあるものだ。
なにしろ各所カスタマイズしてあったのだから…。

物置が無くなって、庭はがらんとした。物置の解体は割と間際のことだったが、だんだん家から物がなくなって、雑多に積み上げられていたりして、ちょっと寂しげな気もした。この家の周りも、古い昭和の借家はどんどん無くなって、アパートや新築が立ち並ぶようになって、数件、うちのような古い借家があった。友人の家と前のわが家があったところは駐車場になっていた。残りの数件の家は今どうなっているんだろうと時おり思う。

 

長年の…

引っ越すのは決まった。

そこから我が家のかたづけが始まった。
新婚時代に4年三鷹、それから新小金井、小金井公園近くに十数年間。
三鷹時代以外はどれも一軒家(古民家)。
長年住んでいると溜まっていくものもある。かつては小金井公園はフリーマーケットが盛んだったし、良いものが安く手に入った。アフリカンドラムのパンロゴクラブを主宰していて、毎週のようにうちには人が飲みに来ていたので食器もかなりフリマで揃えた。公園では自由にバーベキューもできたし花見、月見と、その道具なども物置に装備していた。まあ、ちょっとした飲み屋でもできそうな感じだった。

そんなわけでアフリカ楽器、ドラム、木琴、民族音楽のCD、練習するための音源やビデオなど、過去の絵画作品など、普通の家にはないものまでけっこうあった。引っ越し先で調達できそうなものはいらない。洗濯機、冷蔵庫は、娘の新居いきだ。本棚などは、友人、知人を当たって、引き取り先を探し、お宝系は処分だ。

まず、本をとにかく処分しまくった。古本屋へ何度か持ち込み、ネットで買取というのも利用して処分した。古道具屋さんにもいくつか古いものを引き取ってもらい、ハードオフには何度も出向き、家電、パソコン、その他もろもろ….。金属を引き取ってくれるところにも金物を持って行ったが、最後の最後、物置は処分してねと大家さんに告げられ、雨の中カッパを着てチャンシーと二人で物置3台をバラして金属引き取りに持ち込んだ。準備の合間に、「ご自由にお持ちください」コーナーも作っていろいろなものを通りがかりの人に持って行っていただいた。

チャンシーは、収納名人である。収納というか狭いところに何かをしまうのが天才的にうまい。….なので、毎日毎日処分に明け暮れても、どんどんどんどん物は、あった。ドラムも数台残して処分してしまおうかとも思ったのだが、これは持って行って、パンロゴクラブを向こうでもやろう….かなとやっぱり処分するのはやめにした。(今考えると、持ってきてほんとによかった)

手に入れた時の何十分の一かの小銭で、どんどん物がひきとられた。たまには、お宝にちょっといい値段がついたりして割と楽しかった。

そして、どうしようもないものはゴミ袋へ….。有料ゴミ袋だ。収集日は決まっているし、その頃、雨が続き、このゴミとの戦いが大きな山だった。庭にも捨てなければならないものがたくさんあるが、バラさないと収集に出せない。そういったものをバラすのがまた大変だった。

不思議な符号

はじめの話は町おこしをということだったので、チャンシーも年齢制限を無視して町おこし構想を書き、町おこし協力隊に応募した。(が、さすがにこれは落選した)私も地元食材を使った商品開発をするつもりでいた。
この時点では、大樹町に入ったら友人の仕事の手伝いや地元の食材で町おこし案を考えるという…そんなことで理解していた。(まあ、ずいぶん違ったことにはなったんだが…)

我が家としては、どんなだろうとそれは2番目な感じがしていた。行ってどうなってもそれはそれ…のような…。

いろいろなタイミングで、この大樹町行きは用意されているような感じがあった。こういうことを言うと変に思う人もいるかもしれないが、なにかあるという感じは常にあった。話は、どんどん進んで行く移住の話だったが、トラブルはほとんどない。その時はほんの少し感じていた、そんな予感も今となっては用意されていたとしか思われないほどだ。

さて、チャンシーはというと、小金井の家の真上をオオタカが円を描いて飛んでいるのを見たと言う。ずっと前にチャンシーがブログで連載していた小説の中で、旅立ちの時に主人公が頭の上をタカが舞っていた….。という書き出しで始まる章があったのを思い出した。

そんな出来事もあったし、決めるまでからこっちにきてからも、なにか見えない力が働いているような不思議な感覚を体験した。どうもこの話を進めろ進めろと押されているような感覚だった。引越し移動のフェリー出航の時は稲妻が光った。

事があるたび、なにかのしるしのように現れた。関わりのある数字の符号や、こちらに来てからは、なにかと動物(キツネやタカ、エゾリス、鹿など)を見かけた。それも、こちらにむかってなにか知らせているような不思議な現れ方で興味深い。それは未だに続いているようだ。運がいい….そんな言葉では言い表せないなにかがあると今でも思う。

今は、何かをやるための準備期間なんだろうと思う。そして、そのなにかをするために私たちはここに来たのだろう。

新生活

6月、こちらは運動会やほかの行事がいろいろ本格的に始まる時期だ。3月で農水省の研修生期間も終わり、4月から我が家の生活はまた変わった。

三月中に仕事を決めて、休日は3日間だけだったが、いよいよ本格的に大樹町ライフが始まった。就職したのは、町にある大きな工場である。朝早い日が月に数日あるのが多少大変といえば大変だが、これもそのうち慣れるだろう。数日おきに休みもあるし、昼間の時間がけっこうあるので、働きやすいかもしれない。まあ、いろんなことをやって収入を得るというのもアリだが、決まった仕事があるほうが、今の世の中いろいろ便利な面もある。入って2ヶ月、なんとかこなせるようになってきた。早朝の日高山脈もとても綺麗で、そんな風景の中通勤するのはなかなかいいもんだ。覚えることは多いけど慣れていけばいい。こういう仕事のいいところは、時間になるときっちり終わり、オンオフがはっきりしているところだろう。仕事を探しているときにも、なにかと運の良いこと(または出会い)があり、すんなりと今の場所に落ち着いた。チャンシーも同じだ。これもまた神意なのだろうと思う。

環境が変わったが、それほど間をおかず、4月中旬からパンロゴクラブも再開した。だんだん生活リズムが出来てきて、いよいよ春だな〜と思っていたら、ゴールデンウイークの初日というのに雪が降った。でも、1度目の冬を越したのだ。少しぐらいの雪ではなんともない。….と思う。パンロゴクラブは、大樹町芸術協会というのにも入って、町公認サークル(?)になった。一年くらいで、かなりの上達を見せたメンバーもいて頼もしい。

はじめは自転車通勤だったが、そんなに遠くない道内の人から車を買った。しかも、以前にぼんやり「あの車にいつか乗れるといいなあ〜。」と思っていた車が手に入った。古い車だが調子は良好だ。
去年畑までチャンシーは自転車で通ったが、これで動ける範囲も広がったわけだ。

去年は、周りの景色もあまり見えていなかったのかと思う。今年の春は発見が多い。少しづつ、そのままになっていた部屋の整備などもはじめたところだ。

移住?

老人ホームの仕事を辞め、新たに子供給食をしていた頃….。

そんなときである。1月ころだったろうか。古い友人が海外に住んでいたのだが、そこを引き払って実家の家業をするという。農水省の研修生枠が空いているからそこに入って、一緒にやらないか?という話だ。….それが、北海道十勝の大樹町だった。

友人はガーナに住んでいた。彼女が20年くらい前だろうか、ネットショップでガーナの民芸品などの販売をしていて、そこでコギリ(木琴)を見つけた。一緒にカクラバ・ロビが写っていた。メールでやりとりするとカクラバと友人で、その木琴もカクラバが作ったものだという。チャンシーは迷わず注文した。その時の木琴はすでに手元には無いが、そんなことが始まりで、彼女が帰省する時には、必ず羽田空港付近で会ったり、家に呼んでパーティーをしたり、スカイプで会ったりしていて、リアルに会った時間は短いが付き合いは長かった。

ちなみに北海道には、リアルでは数回しかお会いしたことにない友人がもう一人いて、このサイトの立ち上げを勧めてもらい、Web関係の師匠でもある、パンロゴ仲間のまうまう氏だ。(お世話になりっぱなしです)

北海道にこないか?という誘い。研修生枠で働けば1年間は給料が出るという。
その頃は、チャンシーの家の墓を古いしきたりのところから自由な霊園に移し、私の方も親父の墓を同じ霊園に移して、二人ともしがらみのようなものから解放されつつあった。娘も独立したいようなことを言っていて、二つ時期を待っていた雰囲気。私の母親も新居に引っ越すところで、全部が新しいことに向かっていた時期のようだった。この年の節分を過ぎた頃から、話はどんどん新しいことに向かって動き始めていた。悩むまでもなく、どちらからでもなく、北海道へ引っ越すという計画が始まった。いまの仕事は3月いっぱいで終わる。

北海道行きを決めると、友人は公営住宅を幾つか見せてもらい最適だと思われる物件を見ておいてくれた。会議はスカイプ。もう決めたのだ。下見に行くお金も時間も無い。写真や間取り図を見せてもらい、周りの様子はGoogleEarth。街中もそれで見て回った。役場の住宅の係の人は「いいんですかねえ、見もしないで….。」と言ったとか言わなかったとか…。

最適な物件が見つかった。眺めがとてもよく町の中心部に近い。小金井に比べれば4軒長屋だが広さも十分。言うことなしだ。(公営住宅なので家賃も安いです)

そこから、いよいよ引っ越し準備がはじまった。

移住を計画、または、「田舎に住むのいいなあ~。」と思っている都市部のごみごみした生活に嫌気がさした人はけっこういると思う。だが、最大のネックになるのはやはり仕事。昔と違い、納めるものもいろいろあり、完全に自給自足というのは成り立たず、どうにかして現金を手に入れないといけない。リタイアして田舎暮らしというのとは違うので仕事は重要だ。(ただし、家賃、食費などかかる費用は、東京よりはかなり少なくて済むので、ちょっと頑張ればなんとかなるぞ….と言いたい)

我が家の場合は、そんなことで1年間という猶予期間があった。老人ホームなどの給食関係、ヘルパーなどは、どの市町村にもあり、求人もある。….ただ、仕事はきついので覚悟が要るが….。こっちでも給食かなあ。とも考えていたが、実際こっちに来てみると働き口はあるようだ。ただ、都市部のようにハロワに行けばいいというものではなくこちらのコミュニティーにいかにとけ込めるかにかかってくるのかもしれない。自分で仕事を作り出すことも可能だし、考え次第なのかもしれない。

我が家は引越しに向けて怒涛の準備の毎日がはじまった。