冬がいよいよ近づいてきた。畑に残っている作物をせっせと収穫しては一輪車で母屋に運ぶ。豆を干す。切干しの製作。雪に備えて外に出ているベンチなどの片付け、壊れているベンチの解体。薪を巻き小屋に運ぶ。薪割りも機械を使うと言っても薪サイズの丸太は重かった。うまく工夫して転がしながらせっせと割って積み上げた。そうこうしているうちに雪が降った。雪はコテージの屋根から落ちてデッキにたまり凍った。マイナス20度を下回る大樹町の冬が来た。雪が積もると森にも畑にも入れない。ムロから大根を出して切干しをせっせと作った。夏のバーベキュー施設が作業場になった。デッキの氷割りも少しづつやった。で、初めてしもやけになった。氷は少しづつしか割れず半日やってもデッキの半分しか割れなかった。綺麗にしてもすぐまた凍る。冬用の長靴に分厚い靴下を履いてもしもやけに悩まされた。ここのオーナーが入院したため、一度だけだが雪かきのためにタイヤショベルにも乗った。敷地内なら免許はいらない。
冬はコテージにも泊り客はほとんど来ない。だんだん仕事もなくなってきた。雪が屋根から落ちるとそれをどけたり、切干し作りばかりしていた。息抜きの枝拾いもなく焚き火もできなくなったので残念だ。燃やすゴミをせっせと集めて小さい焚き火で燃やした。
そんな中、出向のの話が来た。
私が研修生としてやっている事業の共同参加者が、尾田地域で豆よりの人出を探していた。ここに来る前に聞いていた話では、農業部門の共同参加者がいるがどうも意見の相違で決裂していたとか。それで、今年はここの人たちだけだけで畑をやっていたと聞いていたので意外だった。何度か姿を見かけたことがある程度で、ほとんど面識はなかった。まあ、研修期間は3月いっぱいまでだ。家からは車で20分くらいだし、数ヶ月そちらに行ってもいいだろう。違うことができるから面白いのかも…。
それから、尾田地域での豆よりの毎日が始まった。
朝、鍵を開け、誰もいない工房で袋から豆を出し選んでいく。シーツを広げた机の上に山にして、少しづつ手で選っていく。それの繰り返し。ラジオが入りにくいのでスマホのネットラジオをかけて、ひたすら選る。もう1人のスタッフが後から来て、しばらくすると昼飯。合間にここのオーナーが顔を出し、私よりも早くその2人は帰る。それから二時間あまり作業をして、戸締りをして帰る。時々、いなきびや豆の袋詰め。そんなことの繰り返しだったが、ラジオで北海道のことが色々わかってきたりして、単純な作業だが意外に豆よりは楽しかった。ただし、ここも寒く暮れに近づくと暖房を入れてもやっぱりしもやけになった。分厚いスリッパの下に防寒ソックスを重ねばきして寝る前にしもやけクリームを塗って寝るのが日課だった。
暮れには黒豆を少しもらって正月用にした。ここに通っている間、何度か激しく雪が降った。朝行くと工房には入れないほど積もっていて、車からスコップを出して雪かきして入ったこともあった。道路は吹雪のようになってホワイトアウトというのも経験した。(結構怖かった)
こうして、年の瀬になっていった。
年が明けてからだが、一度だけ、味噌作りをやった。麹も麹菌を米にふりかけ、麹室で作った本格的な味噌だった。その時の味噌がまだ家にあるが、三年を経てなかなかいい味噌になった。