東北の大震災では、きっと東京都民だけでなく、それぞれの人がこれからのことを真剣に考えたと思う。余震にびくびくしながら過ごす毎日、(被災地からすれば大したことはないと思うが)原発への不安。人としてのこれから生きる道を考えたのだろうと思う。縁あって、東北には二度ほど支援事業で演奏に行って、実際の被害を少しだけだが見た。高度成長期に生まれ、バブルな時期を体験した世代のわたしには、あまりにもショックだった。なんだか、日々の暮らしも疑問に思えてくる。
これもまた、引越しを考える(移住)の前段階だったのかもしれない。
そして、それは突然やってきた。
2014年のことだった。
朝起きたら足から腰にかけて激痛が走って立てなかった。ほんとに突然の出来事だった。なんとか時間をかけて痛みに耐え、トイレには行ったがほぼ寝たきり状態、ふくらはぎにサポーター、腰に腹巻&カイロで、寝る前にはチャンシーにマッサージしてもらい、歩けるようになるまで一週間かかった。そして普通に歩けるようになるまで一ヶ月かかったが、なんとか腰をかばいながら過ごした。普通の生活に戻れても足首は全然曲がらず、痺れた感じ、ちょうど麻酔でもかかってるような状況だった。
足を引きずって過ごした夏は無事に過ぎたが、秋も終わりの頃、再発した。今度はさらにひどく、整形外科に行って、椎間板ヘルニアによる座骨神経痛といわれた。
整形外科で牽引やら何やらやってもらったが、(なぜか自転車は乗れたので整形外科で牽引に通った。)だが、いっこうに良くなるどころかさらに痛みは増すばかり…。もう整形外科では治らないと調べに調べて探し当てた「手を添えるだけで骨のゆがみが治る」を書いた吉田邦夫氏の療法をやっている整骨院を訪ねた。身体はガタガタあちこちゆがんでいたらしい。ほんとうに手を添えるだけなんだが、2〜3回で改善してきた。この時、なんとなく入れていた500円貯金箱にけっこうたまっていたので、藁をも掴む….という思いで開封して治療費にした。(ありがとう小銭貯金)
ドラムを叩くにあたって、身体の使い方とかは考えていたつもりだったが当時の仕事は立ち仕事で重いものも毎日のように持っていたし、ストレスも多く、忙しかった。
この時も一週間ほど仕事を休み、その後は足を引きずって仕事を続けていた。
はじめ、矯正の効果が出てくるまで、ほぼ寝たきりだった。何もできずに一日ラジオを聞いて、本を読んで、映画を見ていた。で、ぼんやりといろいろ考えたのである。小金井も木がどんどん切り倒され、まわりの景色もすっかり変わってきたな~とか、引っ越すんならどこがいいんだろうか…とか。家賃たかいしな〜働いても家賃でかなり収入は削られてしまう。よりよく(自分たちらしく)暮らすにはどうしたもんだろう…とか。だけど、腰は痛く、足も痛い。引越しなんて、できないかもしれない。このままなんだろうか?普通に歩けるようになるんだろうか? とか。
そして暮れに、足のしびれと椅子に座れないまま、仕事を辞めた。大晦日に毎年のように深大寺に蕎麦を買いに行って、ごく普通の年末年始を過ごしていた。
しばらくして、矯正されたきたのか随分良くなってきた。なんだか普通の生活ができるようになってきた。有給分は消化したし、やっぱり仕事はしないといけない。でも、あれだけ痛い思いをしたら、なんだか普通に歩けるだけで幸せな気分だった。2ヶ月弱の短期間だというので、自転車で20分ほどの保育園の厨房に入ることにした。日数が少なかったので、同じ敷地内の小学校にも同じ会社が入っているというので、そちらでも働くことにした。小学校は数百人分の下処理などだったので調理ではなかったが、いままで老人ホームにいたので、新鮮だった。足の痺れはあったもののわりと力仕事もこなしていた。それが終わったら先を考えようと思っていた。
この頃は、なんだか、すべてのものが新しく感じられ、普通に身体を動かせるっていいもんだなあ〜。とちょっとだけ、毎日うれしかった。
その後、吉田邦夫氏の著書を入手して、セルフで矯正を続けた結果、まずまず安心な域まで治って現在に至っている。その後、さらに強力なものも導入したのだが、それは1年後くらいを語るあたりに登場するだろう。
この5~6年で、体重もずいぶん落としたのだが、安心は禁物。腰は大事にしないと。
そしてこの年2015年の始め、北海道引越し計画の序章がはじまるのだ。