私の苦手なもの。鳥類。子供の頃から鳥類は苦手だ。もう2m以内には近づけないほど苦手だ。ガーナにいくという話になった時、一番の心配事は、昔の日本のように(いつかは食べる)鶏が放し飼いになっている写真を見て、それが一番の心配だったくらい鳥がコワい。ひよこだろうが、文鳥だろうが、鳩だろうが、何しろ超がつくくらい苦手である。子供の頃には一度だけ弟が飼っていた文鳥を手に止まらせた事があったが、飛んだらもうパニックになる。原因はわからないが、とにかくコワい。爬虫類、虫など、人が怖がるものは大体平気だが鳥だけは別である。
だが、森の仕事で、そうも言っていられなくなった。
森には色々な野鳥が来た。鳴き声も様々なものが聞こえた。風の音、鳥の声爽やかな北海道の夏の森。野鳥の鳴き声だけは、けっこう好きだ。
コテージの窓ガラスに月に一度くらいの割合で野鳥(小鳥)が激突する。そいつは気絶してコテージのデッキに横たわっていて運が悪いとそのままショックで死んでしまう。という事で、月に一度は鳥の死骸を見ることになる。私が鳥だけは…と言ったら、オーナーはひょいとつまんで森に投げてくれる。ここにはキツネや鷹なども来るので、死骸はいつの間にかなくなっている。無くなるまではそこらへんは極力行かないようにしていた。秋、落ち葉を掃いて集めていたら、そういう鳥の死骸が一羽あった。大きなちりとりで恐る恐る取り、森の遠くに置いてきた。私的にはかなりの快挙だ。姿がなくなるまで何回も確認に行った。(怖いもの見たさである)
確か夏も終わりの頃だったと思う。
敷地内畑の近くに水道も電気も使わずに畑をやりながら生活できるという小屋があった。かつて、東京からそういうプロジェクトか何かで派遣されてきた女子が2人いて、数ヶ月そこで生活し豆を作って過ごしていた事があったらしい。その時に建てたものだと聞いた。彼女たちが去った後も、イベントなどで時々使っていた、こじんまりとした小屋だった。そこに雨水をためるタンクと外に野外用トイレがあったので、私は畑の水を汲んだり、その近くの丸太に座って休憩場所にしたりしていた。ある日その小屋の屋根に一羽の小鳥の死骸を見つけた。やはり窓に激突したようだ。どうやっても届かないところにあった。小屋に入って屋根裏まで上がって窓から見てみても届く場所ではなかった。が、外からは見える。小屋の周りの畑にも作物を植えていたので、ここにはいつも来る。気になって観る。
京都西福寺だったか、「檀林皇后の九相図」を思い出したが、そんなにグロテスクなものじゃなく、動物だし、結構距離があるのでそんなに良くは見えないのだが、北海道の乾燥した気候で、だんだん乾いていくのはわかった。小さくなってきた。一服しながら鳥の一生を考えた。この鳥も成仏してくれと祈った。そして、いろいろなことをぼんやりと考えた。何日か、それはあった。
そんなある日、この地域に竜巻のような大風が吹いて、ひょうたんの棚や作っていた豆の支柱が軒並み倒れてしまった時、それも飛ばされ、動物に運ばれ無くなってしまった。だが、その数日が印象深く、今でもはっきりと覚えている。
そういえば、森から家に帰る時山の斜面にものすごく大きな鹿が立っていてじっとこちらを見ているというのにも何度かあった。森の中にキツネや鹿を見たこともあった。森や山で出会う動物はとても神秘的だ。貴重な経験だったと思う。
今になると、うちの庭にもキツネは来るし、隣の広尾町などは横断歩道を鹿がわたるくらいだが、森の動物たちは、そういうものとは全く違う神秘体験なのかもしれない。