研修生 春(2015)

5月に入り、正式に研修生というのがスタートした。この事業は、3年間の期限つきなのだが、前任者はこの施設のオーナーの孫、それを娘である友人が引き継ぎ、さらに私が引き継いだことになる。なので、私は一年間勤めることになる。

この一年で、何かを始めて….と考えてはいた。チャンシーもこっちにツテがあるわけでもなく、失業保険をもらいながら求職していた。そのため帯広のハローワークに行くので、同行して買い物をするのが楽しみだった。そして、ついでに車関係の手続きなどをこなしていった。こうして多摩ナンバーのサンバーは帯広ナンバーになったのである。

まあ、公営住宅の家賃は、小金井の家と比べると何分の一、物価も安いので、とりあえず一人働いていれば多少厳しいだろうがなんとかなる。正式に8:00から5:00まで勤務。サンバーで通うと山までは10分たらずだ。スクリーンショット-2016-12-04-21.17.41

写真は山からの帰り道。 降りてくると日高山脈がぐるっと見えるまっすぐな道に出る。この先坂を下りると我が家だ。

だが、来たばかりの頃とは違い、だんだん仕事内容もここの従業員のようなことがメインになってきた。コテージの管理、白樺林の管理の手伝い、そしてステイ受け入れ時用の畑仕事….。母屋で何か作って食べていた昼飯も、休憩室と言って前任者が住んでいたという小屋になった。昼の休憩に一人になれるのは気楽でよかったが、枝集めの焚き火が休憩兼娯楽のようになった。白樺の皮で火を起こし、拾った枝をくべる。ときには3m位の幹も燃やした。使えるものは薪割り機とノコギリで切った。広大な敷地内の枝拾い…風に弱い白樺は、すぐ折れるので強風の後は一輪車を押して枝を集め必要なら焚き火で燃やした。もともと火おこしやノコギリの扱いなどのスキルはあったが、バーベキューコンロや七輪と違い、焚き火の始めにはコツがいる。それも白樺の皮が少しあればあっというまに焚き火もつけられるようになった。マキ積みもマキ小屋へ運ぶのもやった。一輪車の扱いも上手くなった。

だんだん装備も外仕事用にアウトドアチックになっていった。必要に迫られてフィールドナイフ、長靴、その他アウトドアグッズも必要になった。長靴と防水のウインドブレーカーがユニフォームのようになった。

生木に比べれば、炭をおこすのは簡単だ。で、敷地内でバーベキューがあるときは炭起こしもやった。大体一年を通じてこれが基本の私の業務になった。

春は、白樺の樹液を取るのだが、ほんの短期間しか取れないのでこの年はもう終わっていた。だが、缶につめるのを業者に頼んでいるので、その引き取り積み下ろしなどもやった。敷地内の隅々まで歩いてどこに何が生えているかもだんだんわかった。春は山菜がたくさん取れる。ずいぶん山菜を採って食べた。

うちの庭にはだんだん花が咲いてきた。町の花コスモスを始め、なにもなかった庭がイングリッシュガーデンのように様々な花で埋まった。大きなタンポポもいっぱいだ。

そして、本格的な春が来て、畑の仕事もはじまったのだった。

正式に農水省からの書類も届き、給料(研修費)の振込口座も開き、今月から日報もつけて開始だ。

春の日報を見るとまだ写真撮影や、ここの施設紹介のブログ開設、休みの日はこの辺の名所に行ってみたり、白樺の木で何か作る計画を立てまずはククサ(木のカップ)を彫り始めたりしている。…..が、6月に入ると%e3%83%81%e3%83%a9%e3%82%b7「畑作業」 「枝集め」の内容がだんだん増えていくのである。

コスモス

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