はずせないこと

スケジュールは一杯いっぱいだった。最終的な引越しは4/16だ。

だが、3月いっぱいまで仕事があった。帰ってきて、荷造り、荷造りの毎日、前回の記事のように解体、取り外さなければいけない物もたくさんあった。

でも、この時期、ぜったいはずせないことがあった。

花見である。

小金井公園は、桜の名所であり、パンロゴクラブは、パンロゴクラブになる前から花見を毎年行っていた。お別れ会もかねて、ぜひともやりたいということになった。合わせて、パンロゴクラブのメンバーだったUさんの店でチャンシーライブも企画してくれたので3月の終わり、そこでチャンシー木琴ラストライブも行った。
花見は、やっぱりやってよかったと思う。大樹町で花見はあるが、あれだけのソメイヨシノはこっちにはなかった。

小金井公園の花見は、江戸東京たてもの園の前に、ずらっとで店が並び、ブルーシートもびっしりで、貫井囃子が回ってきたりで大変賑やかなものだ。公園の近くに住んでいたので、バーベキューセットやキャンプ椅子、テーブルなど一通りの装備があった。大学生メンバーが多かった頃は、庭で焼肉なんかもずいぶんやった。

毎年、同じ場所で、パンロゴクラブは花見を行ってきた。持ち寄りのツマミは、酒好きのメンバーも多く、午後から夜中まで昔は随分と長丁場だった。正午から明け方3時という、とんでもない年もあった。梅の時に湯豆腐をやったこともあった。小さかった子供達は太鼓の袋にくるまったり、寝袋で寝たり、ちょっとキャンプ気分な家族ぐるみの恒例行事だった。ここ数年はこじんまりとはなったが、大きくなった子供達も参加するあいかわらずの恒例。

引越しのニュースを聞きつけて、毎年はこないであろう人たちも集まった。久ぶりの人たちにも会えた。そして、花見の後、公園で長年使ってきたキャンピンググッズなどを処分した。

大忙しの合間だったので、なんだか夢の中の出来事のようにも思える。今、ふと車で走っていて、富士山も東京タワーも桜並木もないんだなあとしみじみすることもあるが、こっちの風景はまた違った各場面絵になるような素敵な景色だ。

壊すもの

3月いっぱいで仕事は終了。あとは引越し準備だ。日数も限られている。慌ただしく荷物の整理に追われていたが,大家さんから「物置もかたずけてってね。」の一言。そうか、こいつをバラさないといけない。隣に住んでいた友人も引越し、周りは建て替えられて、このタイプの住宅はほんの数件。そのままもらってくれるところもない。雨が続いていた。雨の中カッパ着用でチャンシーと二人で物置3台を解体。古いのでネジも錆びついて難航した。が、この家に引っ越してきた時は(隣からだが…。)サッシ化されていない掃き出し窓を隣から外したサッシを取り付けたり、物置すら台車で運んだDIY家族である。道具も装備もありなんとか壊した。そして、サンバーに積み込み金属を引き取ってくれるところまで運び金属として買い取ってもらった。物置だけでなく、解体するものもたくさんあったので、これが一番大変だったかもしれない。粗大ごみに何もかも出したら大変なことになる。できるだけ壊していかないと…。
そして庭にも家の中も外したり壊したりする物はけっこうあるものだ。
なにしろ各所カスタマイズしてあったのだから…。

物置が無くなって、庭はがらんとした。物置の解体は割と間際のことだったが、だんだん家から物がなくなって、雑多に積み上げられていたりして、ちょっと寂しげな気もした。この家の周りも、古い昭和の借家はどんどん無くなって、アパートや新築が立ち並ぶようになって、数件、うちのような古い借家があった。友人の家と前のわが家があったところは駐車場になっていた。残りの数件の家は今どうなっているんだろうと時おり思う。

 

長年の…

引っ越すのは決まった。

そこから我が家のかたづけが始まった。
新婚時代に4年三鷹、それから新小金井、小金井公園近くに十数年間。
三鷹時代以外はどれも一軒家(古民家)。
長年住んでいると溜まっていくものもある。かつては小金井公園はフリーマーケットが盛んだったし、良いものが安く手に入った。アフリカンドラムのパンロゴクラブを主宰していて、毎週のようにうちには人が飲みに来ていたので食器もかなりフリマで揃えた。公園では自由にバーベキューもできたし花見、月見と、その道具なども物置に装備していた。まあ、ちょっとした飲み屋でもできそうな感じだった。

そんなわけでアフリカ楽器、ドラム、木琴、民族音楽のCD、練習するための音源やビデオなど、過去の絵画作品など、普通の家にはないものまでけっこうあった。引っ越し先で調達できそうなものはいらない。洗濯機、冷蔵庫は、娘の新居いきだ。本棚などは、友人、知人を当たって、引き取り先を探し、お宝系は処分だ。

まず、本をとにかく処分しまくった。古本屋へ何度か持ち込み、ネットで買取というのも利用して処分した。古道具屋さんにもいくつか古いものを引き取ってもらい、ハードオフには何度も出向き、家電、パソコン、その他もろもろ….。金属を引き取ってくれるところにも金物を持って行ったが、最後の最後、物置は処分してねと大家さんに告げられ、雨の中カッパを着てチャンシーと二人で物置3台をバラして金属引き取りに持ち込んだ。準備の合間に、「ご自由にお持ちください」コーナーも作っていろいろなものを通りがかりの人に持って行っていただいた。

チャンシーは、収納名人である。収納というか狭いところに何かをしまうのが天才的にうまい。….なので、毎日毎日処分に明け暮れても、どんどんどんどん物は、あった。ドラムも数台残して処分してしまおうかとも思ったのだが、これは持って行って、パンロゴクラブを向こうでもやろう….かなとやっぱり処分するのはやめにした。(今考えると、持ってきてほんとによかった)

手に入れた時の何十分の一かの小銭で、どんどん物がひきとられた。たまには、お宝にちょっといい値段がついたりして割と楽しかった。

そして、どうしようもないものはゴミ袋へ….。有料ゴミ袋だ。収集日は決まっているし、その頃、雨が続き、このゴミとの戦いが大きな山だった。庭にも捨てなければならないものがたくさんあるが、バラさないと収集に出せない。そういったものをバラすのがまた大変だった。

不思議な符号

はじめの話は町おこしをということだったので、チャンシーも年齢制限を無視して町おこし構想を書き、町おこし協力隊に応募した。(が、さすがにこれは落選した)私も地元食材を使った商品開発をするつもりでいた。
この時点では、大樹町に入ったら友人の仕事の手伝いや地元の食材で町おこし案を考えるという…そんなことで理解していた。(まあ、ずいぶん違ったことにはなったんだが…)

我が家としては、どんなだろうとそれは2番目な感じがしていた。行ってどうなってもそれはそれ…のような…。

いろいろなタイミングで、この大樹町行きは用意されているような感じがあった。こういうことを言うと変に思う人もいるかもしれないが、なにかあるという感じは常にあった。話は、どんどん進んで行く移住の話だったが、トラブルはほとんどない。その時はほんの少し感じていた、そんな予感も今となっては用意されていたとしか思われないほどだ。

さて、チャンシーはというと、小金井の家の真上をオオタカが円を描いて飛んでいるのを見たと言う。ずっと前にチャンシーがブログで連載していた小説の中で、旅立ちの時に主人公が頭の上をタカが舞っていた….。という書き出しで始まる章があったのを思い出した。

そんな出来事もあったし、決めるまでからこっちにきてからも、なにか見えない力が働いているような不思議な感覚を体験した。どうもこの話を進めろ進めろと押されているような感覚だった。引越し移動のフェリー出航の時は稲妻が光った。

事があるたび、なにかのしるしのように現れた。関わりのある数字の符号や、こちらに来てからは、なにかと動物(キツネやタカ、エゾリス、鹿など)を見かけた。それも、こちらにむかってなにか知らせているような不思議な現れ方で興味深い。それは未だに続いているようだ。運がいい….そんな言葉では言い表せないなにかがあると今でも思う。

今は、何かをやるための準備期間なんだろうと思う。そして、そのなにかをするために私たちはここに来たのだろう。

新生活

6月、こちらは運動会やほかの行事がいろいろ本格的に始まる時期だ。3月で農水省の研修生期間も終わり、4月から我が家の生活はまた変わった。

三月中に仕事を決めて、休日は3日間だけだったが、いよいよ本格的に大樹町ライフが始まった。就職したのは、町にある大きな工場である。朝早い日が月に数日あるのが多少大変といえば大変だが、これもそのうち慣れるだろう。数日おきに休みもあるし、昼間の時間がけっこうあるので、働きやすいかもしれない。まあ、いろんなことをやって収入を得るというのもアリだが、決まった仕事があるほうが、今の世の中いろいろ便利な面もある。入って2ヶ月、なんとかこなせるようになってきた。早朝の日高山脈もとても綺麗で、そんな風景の中通勤するのはなかなかいいもんだ。覚えることは多いけど慣れていけばいい。こういう仕事のいいところは、時間になるときっちり終わり、オンオフがはっきりしているところだろう。仕事を探しているときにも、なにかと運の良いこと(または出会い)があり、すんなりと今の場所に落ち着いた。チャンシーも同じだ。これもまた神意なのだろうと思う。

環境が変わったが、それほど間をおかず、4月中旬からパンロゴクラブも再開した。だんだん生活リズムが出来てきて、いよいよ春だな〜と思っていたら、ゴールデンウイークの初日というのに雪が降った。でも、1度目の冬を越したのだ。少しぐらいの雪ではなんともない。….と思う。パンロゴクラブは、大樹町芸術協会というのにも入って、町公認サークル(?)になった。一年くらいで、かなりの上達を見せたメンバーもいて頼もしい。

はじめは自転車通勤だったが、そんなに遠くない道内の人から車を買った。しかも、以前にぼんやり「あの車にいつか乗れるといいなあ〜。」と思っていた車が手に入った。古い車だが調子は良好だ。
去年畑までチャンシーは自転車で通ったが、これで動ける範囲も広がったわけだ。

去年は、周りの景色もあまり見えていなかったのかと思う。今年の春は発見が多い。少しづつ、そのままになっていた部屋の整備などもはじめたところだ。