蕎麦打ち

毎月第二週は、蕎麦の会のそば打ちに行っている。何人もいっぺんに来るわけではなくうちたい人がその時に来る感じだ。そば500gと小麦粉100gで600gのそばを打っている。一回出来立てを食べて明日からチャンシーの昼ごはんになる。なかなか保存が難しく二日三日でダメになるのでその時だけの楽しみである。畑で蕎麦も作っていて十勝産そば粉はたくさん手に入るのでマフィンやガレットなんかも作る。粉は家に常備してある。(格安である)今朝も蕎麦マフィンを作り置いた。畑ではやっていないが、もちろん小麦粉も十勝産だ。相変わらずうまい食材には苦労しない。

10月なのでダイアリーを新調する時期だ。今年は出かけることもほとんどないのでレシピ帳部分でほとんど使い切った。この中から厳選して来年に残す。次の手帳が来たら今年のベスト料理を選ぼう。

今日は昼飯に合わせて打ってきた。毎月なので、それなりに食べられるそばが打てるようになった。来週新そばが上がってくるらしいので楽しみだ。

ククサ

ククサというのはこんな木のカップだ。本来は白樺のコブで作るのだそうで、送られると幸せがやってくるのだとか。そんな木のカップを作ろうと研修先の白樺で自分で彫ったのが一番手前。リスの尻尾をかたどってみた。半年くらい自分でせっせと削っていたものだ。完成したのかどうか…。後ろのは最近買ったものだ。ちょうどお手頃なのを見つけて買ってみた。買ったのが届いたので自分で彫ったやつを出してきて並べてみた。今回は2人分買った。

手間をかけたコーヒーを入れてあとで飲んでみよう。

最近手網で焙煎というのをやっていてブレンドコーヒーも作って飲んでいる。ちょっと試しにやってみたら結構うまかったので生豆を常備してたまに焙煎している。豆が爆ぜる音は楽しい。そしてコーヒー道具も楽しい。

ククサ

トウキビの収穫 草刈り

借りた畑のトウキビが、いよいよいい感じになってきた。30本ほど取って同じく畑の芋と共に東京4箇所に送った。スイカ一個の残りをゼリーにして、いただいた巨峰はコンポートにして保存した。芋は代わりに掘って届けてもらったお礼にブドウをお届けに行った。

そして、今日はやっと購入した草はらい機が届いた。研修生時代、嫌という程草刈りをしたのですっかり経験者である。BOSCHのコード式のものを選んだ。こっちは公営住宅といえどもほどほど庭がある。畑をやっている人がいるくらいだからほどほどな広さだ。一年中いろいろな花が咲くので、放置していたが、今年は雑草が多くチャンシーが鎌で刈っていたらしいが、いよいよ草はらい機を買ってみようということになった。5年ぶりだが腕は衰えていない。何しろ散々やったから。コード式、ノコ刃どっちも使える。そこではエンジン式のものだったので紐スターターでエンジンもかけられる。(これは昔乗っていたキック式の原付のエンジンをかけていたのでコツはつかめていたから)今回は、家庭用なのでモーターは下についていて交流式なので長いコードが付いている。あっという間に庭が綺麗になり、同時にいろんなストレスも解消した。

モーターが下についているのと、家庭用なので肩紐がないので腕の負担が違うがこっちの方がサイズも小さく楽々だった。コツは上のほうを刈ってから根元を刈る二段階でやると結構綺麗に刈れる。腕は大きく動かすのがいい。こまめにちょこちょこやると疲れるだけであんまり綺麗にはならない。これで庭を綺麗にして焼肉くらいはやりたいがコロナウイルスで娘が来ないのが残念である。

今日は休日ながらよく働いたのである。

研修生 春(2015)そして…

いよいよ研修生生活も残り少なくなってきた。この研修生ってなんだったんだろうと思う。結局は何かのプラン(助成金企画)で人を置いておかなければいけないってことだったんだろうなあと今は思う。北海道はあっちもこっちもいろんな助成金企画があるからね〜。まあ、そこを埋めたおかげで今があるわけだし、どうこういっても始まらない。結局は移住のきっかけに過ぎないのだから。あそこのオーナーは高齢で病気もあったので、すでに亡くなって久しい。思い出はいろいろあって良い経験をさせてもらったと思っている。友人は、街中で出会ったりたま〜に訪ねて行ったりするくらい。彼女がガーナに住んでいてSkypeしてた頃の方が付き合いは濃かったかもしれないが、近いとなかなかいかないものである。

チャンシーもそろそろ仕事を探していた。3月から、ちょうどよく、介護施設のドライバーの口が見つかってそこに決まった。私は、思いついた。ここで溶け込む&生活が安定するには大きいところ、有名なところにしようと。豆をよりながらいろいろ作戦を練っていた。まあ最初の話とは大きく違い、いろいろあった研修生生活だったが、個人的には焚き火ざんまいでそれなりに楽しかったし、心機一転、ここでの生活をエンジョイしよう。

大樹町で一番有名で大きな工場は予想通り働き手を募集していた。あのチーズ工場である。研修生が3月末、面接に行ったら4月頭から来て欲しいとのこと…その間二日しかない…まあいいや。工場なので9時~5時を想像していたら、なんと早番は5:30出勤…。遅番は夜の10時までってのがある。まあ、やってみないとわからないので入ってみた。慣れるまでは、イジメられたりしたけど、なんでもこなせるようにあれもこれもと引き受けて、のし上がった。ここでよそ者の私が上手くやってくためには、決して深入りしないこと。常に傍観者の立場でいること。深入りはしないけどフレンドリーな立場でいること。勤務時間はきっちり守ること。その辺がうまくいくとなんとなく、だんだん馴染んでくる。イジメられることはもはや無くなった。入った時にバリバリだった人たちも定年を迎えシルバー派遣社員として復帰しているが出勤日は少ない。私世代は中堅になってきた。

こういう生活をしていると一週間があっという間で日にちも曖昧になるので、チャンシーに合わせて日曜は休むことにしている。(会社にお任せだと4日おきくらいに休みだけど)今もそこに勤めている。ペースも出来上がったがそろそろな感じもする。

契約社員とはいっても人生初めての社員生活。ボーナスも初めてもらった。

これからのこと、これからもよく考えていかないといけないなあ…とぼんやり思う今日この頃。ついては、研修生のまとめ的にこの記事を書いてみた。

ここ数年で、いかにも田舎スーパーだったスーパーマーケットがコープさっぽろの店舗になり、ローソンができてサツドラができて、来た頃とは随分違ってきた。フランスパンもそれなりにいいものが焼けるようになったのでパン屋もいらなくなり、食材が豊富に手に入ることとネットでスパイスなどをお取り寄せして美味しいものを満喫している。ここは車社会なのでもう一台の車は趣味と実益を兼ねたやつにしてsmart(二人乗り)からホンダビートと乗って楽しい奴にした。ビートはオープンカーなので楽しい。

幸いなことに田舎なので新型コロナの影響もあまりない。マスク必須とか公共の施設閉鎖でパンロゴクラブ がなかなかできないというのはあるが。どこそこで、患者が出たらしい…その程度だ。

ストーブと風呂がまも古〜いのがついていたが新調して住まいも快適だ。

畑の様子

数年前からすぐ近く(といっても車で数分)の畑を友人と共同で借りてトウモロコシやカボチャ、だいこんなどを育てている。とはいっても会員は年会費を払って一部好きなものを植え、トウモロコシ、カボチャ、ズッキーニ、枝豆などは共通なので、収穫時にかくじ収穫するというゆるい畑である。カボチャは一軒につき野菜コンテナ二つくらいくるので冬中楽しめる。つい最近まで我が家はズッキーニ祭り状態だった。ただ、だいこんはタネを選び、自分で植えて収穫している。自家製たくあんを作るためだ。今年はちょっと遅い種まきだったのでどうなるかと思うが、多少育ちが悪くても自分で作ったたくあんは美味しい。

たくあん用のタネが手に入らずネットで買って、到着を待った。昨日は早番で、帰ると届いていたので大急ぎまいてきた。トウモロコシはもうすぐ収穫できそうだ。畑があるとズッキーニの花も手に入るので毎年美味しくいただいている。(花を食べるのはうちだけなだが、あまりとると収穫に影響するのでほどほどに)

新型コロナウイルスのため娘が十勝に来られないので、トウモロコシは送ってやろう。逢いたいけど来られない。美味しいものをたくさん用意できるんだけどな〜。

東京

大樹町に来て4年。全然東京に未練がなかったので考えてもいなかったのだが…。

ひょんなことから東京に行ってくることになった。東京には、娘と母と私の姉がいる。娘は4年経って新居に引っ越すことになった。高校時代からの友人とシェアハウスするらしい。その様子を見に行くのと数年ぶりの墓参りもあって、いい機会だからと東京にちょっと行ってみようということになった。墓はチャンシーの家の墓を移した時に私の父の墓も同じ霊園に移し、母の生前墓も同じところにある。スケジュールとしては、この二つ、あとは吉祥寺などに行ってみようと思った。母たちの住んでいるマンションに泊めてもらってそこを拠点に娘の家を見に行った。

思ったよりどちらもいい環境に住んでいたので安心した。娘は年に一度くらいは十勝に遊びに来る。母も連絡は取っていたが久しぶりだ。

だが、実は私1人で旅などしたことがない。もともと旅行とかにあまり興味もなく必要がなかったらずっと住んでいるところにいるのである。まあ、勝手知ったる東京なのでなんとかなるだろう。(実はたった1人での旅は初めてだ)

飛行機だって数回しか乗ったことがないし、十勝帯広空港から乗るのも初めてだ。

羽田から渋谷に出て岡本太郎の壁画の前を通り、懐かしい井の頭線で吉祥寺に。予定はたくさんあるので弾丸ツアーのようだ。

着いた日に吉祥寺を一回りして、次の日は墓参りで花小金井から再び吉祥寺、そして娘のマンションがある武蔵小金井、泊まっている実家(今は豊田)もう一日中歩いた歩いた。最終日はバスで立川から羽田へ出て十勝。羽田から90分で飛行場から大樹町の自宅までは車で30~40分くらいだからすぐなんだけど、初めての一人旅。

あっという間の帰省だった。

そして、年が明け新型コロナで東京から十勝はとても遠くなってしまった。

研修生 鳥のこと(2015)

私の苦手なもの。鳥類。子供の頃から鳥類は苦手だ。もう2m以内には近づけないほど苦手だ。ガーナにいくという話になった時、一番の心配事は、昔の日本のように(いつかは食べる)鶏が放し飼いになっている写真を見て、それが一番の心配だったくらい鳥がコワい。ひよこだろうが、文鳥だろうが、鳩だろうが、何しろ超がつくくらい苦手である。子供の頃には一度だけ弟が飼っていた文鳥を手に止まらせた事があったが、飛んだらもうパニックになる。原因はわからないが、とにかくコワい。爬虫類、虫など、人が怖がるものは大体平気だが鳥だけは別である。

だが、森の仕事で、そうも言っていられなくなった。

森には色々な野鳥が来た。鳴き声も様々なものが聞こえた。風の音、鳥の声爽やかな北海道の夏の森。野鳥の鳴き声だけは、けっこう好きだ。

コテージの窓ガラスに月に一度くらいの割合で野鳥(小鳥)が激突する。そいつは気絶してコテージのデッキに横たわっていて運が悪いとそのままショックで死んでしまう。という事で、月に一度は鳥の死骸を見ることになる。私が鳥だけは…と言ったら、オーナーはひょいとつまんで森に投げてくれる。ここにはキツネや鷹なども来るので、死骸はいつの間にかなくなっている。無くなるまではそこらへんは極力行かないようにしていた。秋、落ち葉を掃いて集めていたら、そういう鳥の死骸が一羽あった。大きなちりとりで恐る恐る取り、森の遠くに置いてきた。私的にはかなりの快挙だ。姿がなくなるまで何回も確認に行った。(怖いもの見たさである)

確か夏も終わりの頃だったと思う。
敷地内畑の近くに水道も電気も使わずに畑をやりながら生活できるという小屋があった。かつて、東京からそういうプロジェクトか何かで派遣されてきた女子が2人いて、数ヶ月そこで生活し豆を作って過ごしていた事があったらしい。その時に建てたものだと聞いた。彼女たちが去った後も、イベントなどで時々使っていた、こじんまりとした小屋だった。そこに雨水をためるタンクと外に野外用トイレがあったので、私は畑の水を汲んだり、その近くの丸太に座って休憩場所にしたりしていた。ある日その小屋の屋根に一羽の小鳥の死骸を見つけた。やはり窓に激突したようだ。どうやっても届かないところにあった。小屋に入って屋根裏まで上がって窓から見てみても届く場所ではなかった。が、外からは見える。小屋の周りの畑にも作物を植えていたので、ここにはいつも来る。気になって観る。
京都西福寺だったか、「檀林皇后の九相図」を思い出したが、そんなにグロテスクなものじゃなく、動物だし、結構距離があるのでそんなに良くは見えないのだが、北海道の乾燥した気候で、だんだん乾いていくのはわかった。小さくなってきた。一服しながら鳥の一生を考えた。この鳥も成仏してくれと祈った。そして、いろいろなことをぼんやりと考えた。何日か、それはあった。

そんなある日、この地域に竜巻のような大風が吹いて、ひょうたんの棚や作っていた豆の支柱が軒並み倒れてしまった時、それも飛ばされ、動物に運ばれ無くなってしまった。だが、その数日が印象深く、今でもはっきりと覚えている。

そういえば、森から家に帰る時山の斜面にものすごく大きな鹿が立っていてじっとこちらを見ているというのにも何度かあった。森の中にキツネや鹿を見たこともあった。森や山で出会う動物はとても神秘的だ。貴重な経験だったと思う。

今になると、うちの庭にもキツネは来るし、隣の広尾町などは横断歩道を鹿がわたるくらいだが、森の動物たちは、そういうものとは全く違う神秘体験なのかもしれない。

研究生 冬(2015)

冬がいよいよ近づいてきた。畑に残っている作物をせっせと収穫しては一輪車で母屋に運ぶ。豆を干す。切干しの製作。雪に備えて外に出ているベンチなどの片付け、壊れているベンチの解体。薪を巻き小屋に運ぶ。薪割りも機械を使うと言っても薪サイズの丸太は重かった。うまく工夫して転がしながらせっせと割って積み上げた。そうこうしているうちに雪が降った。雪はコテージの屋根から落ちてデッキにたまり凍った。マイナス20度を下回る大樹町の冬が来た。雪が積もると森にも畑にも入れない。ムロから大根を出して切干しをせっせと作った。夏のバーベキュー施設が作業場になった。デッキの氷割りも少しづつやった。で、初めてしもやけになった。氷は少しづつしか割れず半日やってもデッキの半分しか割れなかった。綺麗にしてもすぐまた凍る。冬用の長靴に分厚い靴下を履いてもしもやけに悩まされた。ここのオーナーが入院したため、一度だけだが雪かきのためにタイヤショベルにも乗った。敷地内なら免許はいらない。

冬はコテージにも泊り客はほとんど来ない。だんだん仕事もなくなってきた。雪が屋根から落ちるとそれをどけたり、切干し作りばかりしていた。息抜きの枝拾いもなく焚き火もできなくなったので残念だ。燃やすゴミをせっせと集めて小さい焚き火で燃やした。

そんな中、出向のの話が来た。

私が研修生としてやっている事業の共同参加者が、尾田地域で豆よりの人出を探していた。ここに来る前に聞いていた話では、農業部門の共同参加者がいるがどうも意見の相違で決裂していたとか。それで、今年はここの人たちだけだけで畑をやっていたと聞いていたので意外だった。何度か姿を見かけたことがある程度で、ほとんど面識はなかった。まあ、研修期間は3月いっぱいまでだ。家からは車で20分くらいだし、数ヶ月そちらに行ってもいいだろう。違うことができるから面白いのかも…。

それから、尾田地域での豆よりの毎日が始まった。

朝、鍵を開け、誰もいない工房で袋から豆を出し選んでいく。シーツを広げた机の上に山にして、少しづつ手で選っていく。それの繰り返し。ラジオが入りにくいのでスマホのネットラジオをかけて、ひたすら選る。もう1人のスタッフが後から来て、しばらくすると昼飯。合間にここのオーナーが顔を出し、私よりも早くその2人は帰る。それから二時間あまり作業をして、戸締りをして帰る。時々、いなきびや豆の袋詰め。そんなことの繰り返しだったが、ラジオで北海道のことが色々わかってきたりして、単純な作業だが意外に豆よりは楽しかった。ただし、ここも寒く暮れに近づくと暖房を入れてもやっぱりしもやけになった。分厚いスリッパの下に防寒ソックスを重ねばきして寝る前にしもやけクリームを塗って寝るのが日課だった。

暮れには黒豆を少しもらって正月用にした。ここに通っている間、何度か激しく雪が降った。朝行くと工房には入れないほど積もっていて、車からスコップを出して雪かきして入ったこともあった。道路は吹雪のようになってホワイトアウトというのも経験した。(結構怖かった)

こうして、年の瀬になっていった。

年が明けてからだが、一度だけ、味噌作りをやった。麹も麹菌を米にふりかけ、麹室で作った本格的な味噌だった。その時の味噌がまだ家にあるが、三年を経てなかなかいい味噌になった。

研究生 秋(2015)

秋になって、畑の収穫もまっさかり。ほどほどな広さの畑には野菜が実った。かぼちゃだけはなぜかものすごい量で、三箇所の畑にどっさりできた。この時期修学旅行の受け入れもあったので、高校生の手も借りてコンテナに詰めたカボチャと大根をせっせと地下の榁に運んだ。結構な力仕事が続いた。森に落ちている枝拾いもせっせとやった。猫車を押して枝を拾って集めては山にして、持ち上がらないくらい大きいのはノコギリで切って運んだ。大きな山を作って、燃やす。雨の日は、コテージのセンターハウスの棚に長年溜まっていたものなんかを片付けたりした。(もうこの時期にはパソコンでやる仕事なんて、何もなかった。そんな時間は全く取れなかったが、写真の整理だけは少しあった。)

この頃には、悩まされていた足のしびれも森の中を一日中歩いていたせいかずいぶん楽になってきていた。今考えると毎日アーシング(グランディング)だったのかもしれない。枝ひろいをして、大きな枝の山を燃やす焚き火。これが唯一の楽しみで、焚き火をやる日は本当に1日頑張って枝を拾った。焚き火といっても小さなものじゃなく、キャンプファイヤーをもっと大きくしたようなデッカい火。面白いのでファイヤースターターなんかも試してみたりした。白樺の皮とアルミのファイヤースターターの組み合わせで結構うまく着火できるようになった。コテージ横のバーベキューハウスに予約が入ると炭火起こしなんかも請け負った。小金井公園でパンロゴクラブ の仲間とバーベキューをよくやっていたので炭の火起こしはお手の物だ。変なところで変なスキルが役に立つものだ。

合間に森の中で山ぶどうを収穫してジャムを作ったりしたのも美味かった。

収穫した大根、べにくるりという赤い大根は切り干し大根の製作を始めた。とってもとっても大量にあった。毎日収穫、一輪車で運んで、水洗い、切って干す。秋も深まる頃は、それがメインの日課になった。

もう、こういう作業だけになっていた。日報のようなものを作っていたが、毎日、「畑作業」「切干し製作」ほとんどがそれで埋まった。最初に言われていた研修などは全くなく、一度だけ食品衛生セミナーのようなものに参加しただけだった。東京で介護食の会社にいた時に取った調理師免許、役立つことはほとんどなかった。一度だけ修学旅行生のためにもらったカレイの刺身を大量に下ろしたことだけだ。ここに来る前は、十勝の食材のレシピづくり、まちおこしイベントの企画、なんて話もあったんだが… 。敷地内に小さなレストランがあったが、バーベキューの火起こしくらいでどんなに忙しくても呼ばれることはなかった。十勝の食材の活用メニューを考えるなんて全くなかった。でも、不思議と辞めてしまおうとは思わなかった。あと半年足らず、任期は無事に終えようと思っていた。

生活はというと、大樹町の町営住宅は家賃も安くとても暮らしやすく、美味いものもいっぱいなので、すっかりこの街を気に入っていたので、このままこの街にくらす方法など模索していた。好きな時に休みを取れるわけでもなかったが、移住者向けのイベントなどにはせっせと参加して、パンロゴクラブも地元の祭り参加や、デジタルアート展なんかもやって結構充実していたが、どうも最初の構想とはだいぶ違ってきた。冬までこの件をまとめたら総括してみようと思っている。

 

そして、いよいよ冬が近づいてきた。

 

今年の雪は

今年は12月中旬まで雪がなかった。一度降ったがあっという間に消えてしまった。写真を見ると、今頃は高く積み上げられた雪がそこここにあるのが12月。その分寒い。

そして、昨日やっとまとまった雪がきた。日中降りつづいて、あっという間に雪景色になった。雪が降るとあたりが一変する。ダイアモンドダストも飛んで、美しい季節になる。今朝はマイナス10度を超え、澄み切ったキーンとした冬がやってきた感じだ。

我が家の周りは、国道にも近く除雪車が通るのでこれは助かった。さらさら軽いといっても降る量が違うから。国道はすぐに除雪されるのでスタッドレスを履いた車は割と快適に走れる。装備さえちゃんとしていれば移動は大抵車なのでなんとかなる。東京から来たというと寒さに参るだろうといろんな人に言われたが、あまりそんなことはなかった。確かに寒いのは寒いがこの澄んだ寒さは、東京の寒さとは質が違うので慣れたというよりだんだん冬も楽しみになってくる。一面真っ白。とにかくどこも広〜い雪景色。今だったら、十勝に来るのは冬がいいよと言う。(ただし装備は万全に)観光スポットは雪が積もると閉鎖されてしまうが、ただただこの景色を見て欲しいと思う。北海道の家の中はすごく暖かいので大丈夫。東京の方がぜんぜん寒いよ。今では、ストーブを焚いた部屋で真冬にアイスってのを楽しんでいる。